マイ・バック・トゥ・ザ・フューチャー。

こんばんは(^O^)/

今日は出身高校の創立30周年記念の式典がありました。
僕は…この学校の第一回生です。
当時の事情をお話しすると…
『勉強のできる男子は私立S学園(中高一貫の男子校)に行く』
と言う暗黙の了解がありました。
結果、当時の当該学区の公立中学校は、折からの全国的な校内暴力の影響も相まって荒れており、且つ男女比が3:4程度のアンバランス…といった状況にあったのです。

僕自身、中学三年生の頃は甘い先生を見つけては授業をソフトボールやバレーボールに振り替えたり、また目立たないところで花札やトランプに興じる生徒でした。

そんな状況の中、この地域における公立高の果たすべき役割を真剣に考えた前川先生と、そしてその元に集まった熱意のある先生方に我々一回生が迎えられたのです。
入学してから…勉強は本当に大変でした。
チャイムが鳴れば誰もが席に着き、授業中の私語もない。
…当たり前のそんなことに加えて、0時間目と称した補講や7時間授業といった環境の激変で、ゴールデンウィーク明けに知恵熱を出してしまいました。
当時の僕はこんな感じです。
熱意ある先生方のご指導の結果、僕は浪人はしたものの無事に大学進学を果たしました。

そして…在学中に初代の生徒会長を務めた縁で、同窓会長になりました。

ただ…僕にはこの役割は荷が重かった…
地元三田を離れ大阪で暮らし、サラリーマン生活を送る身には、役員会や学校行事への参加、またPTAその他の方々と付き合うのは苦痛以外の何物でもありませんでした。

そして僕は…ある日突然フェードアウト(正しく言うとカットアウト)しました。
後のことは知ったこっちゃなかった。
当時の役員から電話が来ても知らんぷり…
そして17年ほどの時間が過ぎて行きました。

ある日。

見慣れぬ番号から着信がありました。
それは、高校時代に在籍した放送部のメンバー。
近くで呑んでるから今から来い!というお誘いでした。
恐る恐る出掛けた飲み会。
迎えてくれたメンバーは、何も変わってなかった…
そしてそれをキッカケに同窓会行事や放送部のOB会に顔を出すようになりました。
で、今日。
20数年ぶりに足を踏み入れた母校で、懐かしいものに出会います。
29年前に生徒会で設置したモノがそのまま残って居ました。
この箱の鍵を歴代の生徒会長が開け、寄せられた意見について真摯に向き合って来たのだな…そう思うともう涙腺が崩壊寸前(T_T)
その後招き入れられた体育館での記念式典・場所を移して行われた同窓会主催の式典…懐かしい友人や恩師の先生方との再会もあり、夢のような一日を過ごせました。
実は僕が付けているこの腕時計…高校に入学したときに父がくれた物です。
途中父に返した時期もありましたが、形見分けとして僕の手元に戻って来てからは、行政書士試験の時を始め、ここぞという時には必ず身に付けています。

バックトゥーザフューチャーの今と未来…
それは母校、そして僕自身の歩みそのものです。
クルマもスケボーも地面から離れはしないけど、あの頃に想像もつかなかった日々を過ごして居ます。

…戻れる場所があるって良いな。
…迎えてくれる仲間が居るって良いな。

今日、心の底からそう思いました。
そして…

30年前の15才の自分に誇れる生き方をしてますか?

…この課題に誠実に向き合って日々を大事に過ごして行かないとダメだ、とも思いました。


…アカン、感傷的で長い(笑)
ま、どんな状況に置かれようとも、人はその場で一生懸命生きて行かなアカンのですよね^_−)−☆